廃車後、旧篠ノ井貨車区に取り込まれ、その後の消息が長い間確認できなかったEF62 7号について、信濃毎日新聞の取材により現存していることが確認されました。
EF62ファンにとっては大きなニュースです。同車は1987年に廃車になって以来、旧篠ノ井貨車区近辺に留置されている姿が見られた後、同検修庫内に収容され、その後の消息が聞かれなくなっていました。
その検修庫ですが、シャッターは固く閉ざされ、全ての窓が内側から目張りされていて、中の様子が分からなくなっていました。そのうち建物にツタがはびこり、とても怪しい雰囲気を醸し出し、保管というよりは隠しているのではという噂が流れ、また、JRや関係者からも同車の動静がなにも伝えられないことから、都市伝説化して、触れてはいけないタブーのようなことになっていました(笑)。
同車が保管された経緯は簡単ですが書籍「機関車 EF62」(1993年発行SHIN企画/発売・機芸出版社)の「残存する3両の初期製造機」のところで1号、3号とともに下記のように記載されています。(3号は2019年に解体)
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(原文ママ)
EF62 7/篠ノ井機関区
(中略)
1987年2月に廃車となったが、EF60 16やEF63 14などと共にJR貨物の静態保存機に選ばれ、そのまま篠ノ井機関区に駐留。現在は同機関区の管理施設内に収容されている
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記述とともにEF62 7の画像が掲載されています。すでに色褪せて車体側面のナンバープレートと製造銘板は剝がされていて、白ペンキでEF62 7と書かれ、ちょっと痛々しいです。
この記述によるとJR貨物の静態保存機に選定されたとありますが、JR貨物がEF62やEF63を使ったことはなかったので、将来、会社に関係なく電気機関車博物館のようなものを作る構想があったのでしょうか?
次に、なぜ7号が選ばれたのか理由について考えてみます。ここからは私の想像ですが、7号は現役時代にかなり長い間(数年以上)にわたり休車となっていた時期がありました。(当ブログの7号のページでも紹介していますが、長野駅構内に留置されていていました)
(7号のページはこちらhttps://jnref62.blogspot.com/2014/04/ef62-7.html)
ところがEF62の東海道・山陽線投入により、高崎車の1~3、11号を除く全車が下関に転出、篠ノ井車だけで信越線、上野~直江津間をカバーすることから、車両が足りなくなり、7号が全検を受け復活する運びとなりました。それが1984年年初の頃です。そこから1987年に廃車になるまでは3年、検査を残しての廃車だと思われます。また休車期間が長かったことから、走行距離も他車より少なかったと推測しています。以上から車両の状態が良いと判断され、選定されたのではと想像しています。
今後は何も決まっていないようですが、あの庫の中に、シノキク仕様(長野工場入場車)のオリジナルの1次型が当時のままの状態で眠っているかと思うと感慨深いです
【出典・参考文献】
●橋本 真「機関車 EF62」(1993年発行SHIN企画/発売・機芸出版社)
























