最初の説明


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このブログでは、国鉄直流電気機関車EF62を中心に、画像、車歴、機器構成、運用、業務資料、鉄道模型などを、個人で収集・調査した資料をもとに記録しています。あわせて1980年代の長野地区の鉄道や鉄道模型についても掲載しています。
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本ブログは個人による研究・観察記録であり、資料や写真に基づく考察を行っていますが、解釈や推測を含む場合があります。いずれも趣味を楽しむレベルのもので、当時聞いたうろ覚えの話しや、想像などもあり、正確さを保証すものではありません。 誤記、誤表現等多々あるかと思いますので予めご了承のうえご覧下さい。また、時々加筆、修正などの更新を行っておりますので最新版をご覧下さい。

2020年8月7日

EF62 52〜54号機 ランボードと主抵抗器環風装置のこと

 昭和42年(1967年)に登場した52号は続く53,54号とともに、各種機器類が新型や改良版になった他、現場からの要望による雪害対策・不具合対策などが施され、満を期して登場したEF62の完成形でした。特に雪害対策が多々施され、雪に悩まされていた様子がよくわかります。

1、雪害、凍結対策として施された主な項目
(1)主電動機、主抵抗器の排風を還流式とした。
(2)機械室内各高圧機器に金網入り透明塩化ビニールで囲いを設けた。
(3)制御機器に防雪覆いを付けた。
(4)砂マキ管に凍結防止の保温ヒーター(300W)を取り付けた。
(5)各ジャンパー栓、栓受に凍結防止の保温ヒーター(25W,50W)を取り付けた。
(6)空気窓ふき器を強力なWP50形にした。
(7)キャノンプラグの防水化
(8)主抵抗器送風機の耐雪構造化

2、近代化として施された主な項目
(1)自連の材質と形状変更
(2)自動ドレン弁の採用
(3)主電動機自動給油装置の新設
(4)パンタグラフ上昇専用空気ダメの設置
(5)ランボードの鋼板化
(6)高圧機器に感電事故防止のための金網を設置

外観はそれまでの2次型と同じで、大きく変わったところはありませんでしたが、細かいところではジャンパ栓の型番変更による形状変化と屋根上のランボードが変更になりました。ランボードは模型をやっていれば気になるところで、52~53号は山側のランボードがパンタグラフのところしかありません。また、3両とも山側の排風口のところだけ低くなっています。一見、簡素化によるものと思われますが、これには他に大きな理由があったようです。

各種雪害対策を施された52~54号ですが、ランボードがそれまでの量産車と違う理由は、雪害・凍結対策の(1)の主抵抗器の排風を環風式にしたということに大きく関係しているようです。
昭和41年(1966年)の信越本線、長野~直江津間電化により豪雪地帯に足を踏み入れるようになったEF62ですが、降雪時に雪が機械室に入り込んで機器を故障させるというトラブルが続出するようになります。
原因は機械室内の主電動機送風機や主抵抗器送風機が大量の吸気を行うため、機械室内が負圧になり、外から雪が機械室に大量に吸い込まれるというものです。側面エアフィルタにはビニロックが使用されていましたが、パウダースノーはいとも簡単にビニロックを通過して室内に入り込んで機械室内に積もっていたようです。

CS16
機械室内のCS16に付着した雪の様子。通路にも積もっている。
画像出典 「電気機関車1967年4月号」交友社

CS18
機械室内 HB、CS18側
 こちらも通路に雪が積もっている
 画像出典:「電気機関車1967年4月号」交友社

この対策として機械室内の負圧を和らげようと、主電動機送風機と主抵抗器送風機の排風の一部を機械室に戻すという手段がとられることになりました。これが主電動機環風装置と主抵抗器環風装置です。

主抵抗器環風装置ですが、主抵抗器を冷却している冷却風の一部を機械室に戻すというものです。こう書くと簡単なのですが、この装置の全容が未だによく調べ切れていません。この装置の存在を知った当初は、たぶん機械室内の主抵抗器を覆っているカバーの一部に窓のようなものを付け、そこを開けて環風しているものと思っていました。しかし実際は違っていたようです。手元にある断片的な資料と、数年前に概要が記載された資料を見つけましたので掲載していきたいと思います。

それによると、どうやらその装置は屋根上の排風口の前にあって、一旦車外に排出された風をもう一度機械室に導き込むというもののようです。とても原始的というかアナログ的な装置の様ですが、屋根上にあるとすれば目立ちそうな気がします。
しかし、80年代当時の52~54号を見ても屋根上にそのような装置らしきものは見当たりません。
ただ、この3両の排風口(山側)の前には、他のEF62に無い特徴を見ることが出来ます。

EF62 52
52号
【撮影年月日】1984/08/31
排風口の前に何か突起物が見えます(黄色〇印)
EF62 53
53号
 【撮影年月日】1984/08/25
 これが一番よくわかります

EF62 54
 54号
 【撮影年月日】1983/12/13
 見えづらいですが、54号にもあります

画像は全て1エンド側から撮ったものですが、3両ともランボードのある肩の部分から、L字型の爪のような突起物が出ています。他のEF62には見当たりません。なんでしょう??これ??

しかし爪のような突起物だけではよくわかりません。
やはりこれを紐解くには新製時の画像を探さなければなりません。
ところがこの3両の新製時の画像って意外になかったりします。
あっちこっち探してみて、やっと今は無き汽車製造株式会社の社内報であるKSK技報(1968-1)にそれを発見!?しました。

それでは52号の新製時画像です。

EF62 52
今、明かされる52号誕生時の秘密!?
いろいろと興味深いことが分かりますね
画像出典:KSK技報(1968-1)汽車製造株式会社


EF62 52
おや?
おおおっ!
排風器の肩の部分に何かあります!
画像出典:KSK技報(1968-1)汽車製造株式会社

EF62 52
拡大してみました
こっ、これは…
画像出典:KSK技報(1968-1)汽車製造株式会社

モノクロ&冊子印刷のため不鮮明ですが、排風口の前の肩の部分に何か装置らしきものが搭載されています。
どうやらこれが主抵抗器環風装置のようです。
とても立派な装置に見えます。記事によると機械室内から案内羽根を操作することで、夏は全て車外に排出、冬の降雪時は一部を環風させる構造になっているとのことです。
また、この装置を搭載するために52号は山側のランボードをパンタ周り以外廃止したとありました。山側に付けた理由は、海側はパンタからの母線が通っているからとのことです。
なるほど、そういう訳だったのですね。
ランボードについては、54号は排風口の前を除いて復活しています。これは現場からパンタのところだけでは使い勝手が悪いと要望があったのかもしれません。
この装置が活躍している画像を見てみたいところですが、まず見つからなそう。。
どなたかお持ちの方はいらっしゃいませんか?

ところでこの立派な装置、末期の3両には見当たりません。
この装置がその後どうなってしまったのかを推測してみたいと思います。
52号から搭載された主抵抗器環風装置ですが、もし効果があってとても良いという評価になれば、他のEF62へも取付工事が行われたものと思います。しかし実際は行われず、装置の搭載はこの3両のみので終わってしまったようです。

理由として考えられることは
 ①効果が思ったほどなかった
 ②開けたり、閉めたりの扱いが面倒だった
 ③高温の排風を機械室に戻すことで、機械室内の温度が想定外に上がり別の問題になった
 ④雨漏りがする
あくまでも推測ですが、①②あたりでしょうか。

そして、この立派な装置は取り外されてしまったものと考えています。(そもそも、53号と54号は新製時の画像が見つからず、最初からこれが搭載されていたか確認できていません)
そうだとすると、あの爪のような突起物はその残骸と考えることもできます。(そう考えると53号、54号とも積まれていた!?)
推測ばかりになってしまっていますが、幸い文化むらに54号があるので調べてみました。

文化むらの54号について問題の部分を見てみます。
EF62 54

まず、L字型の爪のような突起物がありません。この件については後ほど考えてみたいと思います。
EF62 54

角度を変えた画像です。ランボードと思っていた部分ですが、良く見ると丁番(蝶番)のような物が見えます。スリットは爪があったところでしょうか?(爪の数とスリットの数は合っています)。丁番があるということは… これ開くのでは??

機械室側から見てみます。
EF62 54

機械室扉のガラス越しに懐中電灯を当てて撮影したものです。見えずらいですが、丁番のある部分(矢印)の下は天井に穴が開いて貫通しているように見えます。


~ 2024年2月6日追記 ~
2023年9月30日 碓氷峠鉄道文化むらの「碓氷新線開通60周年 聖地で味わう特別な1日」というイベントでEF62 54の機械室が公開されました。その時に貫通を確認しました。


と言うことは、もしかしてこのランボードのようなものは丁番部分で下図の様に開くのでは?
<車体断面図>
EF62 54
もし正解であれば下図のように環風を行うための仕組みでしょうか?
EF62 54

正しければこれも環風装置と考えることができます。ただ52号で見た立派な装置とはだいぶ違います。これは立派な装置を簡易化したものでしょうか?末期の3両はいずれも立派な装置は見当たらず、同じような突起物のある形状になっていたことを考えると、次のようなストーリーが考えられそうです。

①3両とも新製時から52号で見た立派な装置が搭載されてたとしたら、後に何らかの理由で立派な装置は取り外され、この簡易タイプに改造された。
②53、54号の2両は最初からこの簡易タイプで新製され、52号は後にこれに合わせる改造を受けた。

廃止されたものと思っていた主抵抗器環風装置は、理由はわかりませんが立派な装置から構造を簡易化され、生き残っていたというように考えることもできます。(実際に使っていた期間は不明)
その場合、一段低いランボードと思っていた部分は、主抵抗器環風装置のフタだったということになります。あのL字型の爪のような突起物ですが、立派な装置の残骸ではなくこんな役割だったとか
EF62 54
フタのストッパー?
この爪のような突起物ですが、篠ノ井時代は最後までありました。53,54号については田端へ転属後もしばらくはあったようです。ネットや書籍で公開されていた画像で確認いたしましたが、幸い転属後の53号の画像を譲っていただくことができましたので掲載いたします
EF62 53

1989年4月頃に撮影されたもので、屋根上に列車無線のアンテナが積まれ、1エンド側のパンタグラフのホーンは赤色、2エンド側は緑色のレアな装いです。C’タイプ無線アンテナが付く前の貴重な画像です。撮影者様ありがとうございました。
EF62 53

拡大すると爪のような突起物が確認できます。その後取り付けられたC'タイプ無線のアンテナが付いた後の画像には見られませんでした。とすればC'タイプ無線アンテナ搭載工事の際に撤去されたのではないかと考えています。撤去された理由は使用していないうえ、飛び出ていて点検や検査時に危険というものではないでしょうか。

まとめ
結局のところ推測ばかりで、本当のところはわりませんでした。それはこの装置の効果や実際に何時頃まで使われていたのかについても同じです。最終的にたどり着いた簡易的な構造だとしたら、フタを閉め忘れて雨が降ってきた場合、機械室内がびしょびしょになってしまいます。EF62最後の3両に搭載された主抵抗器環風装置は、雪害対策の切り札として現場の大きな期待を背負って開発されたものでしたが、あまり日の目を見ることなく、ひっそりと幕を閉じた印象を受けました。文化むらの54号をご覧になった際には、この部分にも注目していただけたらと思います。またこの装置の詳細、経緯についてご存じの方がいらっしゃいましたら、情報をお寄せだけましたら幸いです。
よろしくお願いいたします

おわり



【出典・参考文献】
●「電気機関車1967年4月号」交友社
●「電気機関車1967年12月号」交友社
●「KSK技報(1968-1)」汽車製造株式会社

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