この理由は発電ブレーキを使う必要性が無かったことと、乗務員・係員の負担軽減に尽きると思います。
必要性がなかったことは、それまでの東海道・山陽筋に発電ブレーキを持った機関車がなくても問題なく運用されていたことで分かります。
それでもせっかく付いているのだから使えばよかった、なぜ使わないのかという声も当時の月刊誌などに見受けられましたが、使うとなると乗務員のハンドル訓練や取扱いの習熟が必要になります。
それでもせっかく付いているのだから使えばよかった、なぜ使わないのかという声も当時の月刊誌などに見受けられましたが、使うとなると乗務員のハンドル訓練や取扱いの習熟が必要になります。
特に発電ブレーキ中に故障した場合(主電動機のフラッシュオーバーや、主抵抗器送風機の故障、GRが動作、停電した場合など)覚えなければならない取扱い項目は一気に倍になります(検修や検査項目も多くなります)。また、EF62の発電ブレーキは使用速度帯が低速域重点型で、信越線時代も使って良い区間と許容電流が400Aまでと厳密に決められていました。
これはEF62の主抵抗器が設計段階からスペースの都合上容量不足気味だったことにも起因していると思うのですが、ダイヤが過密な東海道・山陽筋を発電ブレーキを効かせ400Aに押えながらゆっくりした速度で下るのは現実的でないでしょう。
セノハチだけでも使えばという声もありましたが、セノハチ区間はSL時代から代々補給制動法で下る技が伝承されていましたし、この技が出来ることが乗務員の誇りにもなっていたようですので、ここでも発電ブレーキの出番はなかったようです。
【出典・参考文献】
●「電気機関車1970年3月号」交友社
●「電気機関車1977年11月号」交友社
●「電気機関車1981年9月号」交友社
●「電気機関車1970年3月号」交友社
●「電気機関車1977年11月号」交友社
●「電気機関車1981年9月号」交友社
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