篠ノ井機関区のEF62、EF64にはPS22Bを積んだものがいました。
篠ノ井機関区というよりは長野工場入場車ですね。
大半はどちらか一方のみ交換でしたが、EF64には両方ともPS22Bになったものもいました。
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| EF62 9(片側) |
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| EF62 9(片側) |
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| EF64 62(片側) |
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| EF64 不明(両側) |
EF62、EF64とも標準はPS17ですが、冬季の積雪などでよく破損したそうです。
屋根に積もった雪が凍結して、パンタを上げる時などに無理な力が加わり変形や破損、不調になるというもの。壊れたパンタを交換するときに問題になるのがPS17の在庫です。
雑誌「電気車の科学1976-8月号」に「PS22B形パンタグラフ」という国鉄車両設計事務所の方が書かれた記事が掲載されていますが、その記事中にPS17は現在製造停止になっているとありました。1976年というと昭和51年で、この記事が書かれた段階ですでに製造停止になっていたことがうかがえます。
長野工場も暫くはストックがあったのかもしれませんが、それが無くなったらPS22Bを調達するしかありません。
もともとPS22BはPS14,15,17と多種あった直流電機用パンタを新しい設計で省力化、標準化を図るのが狙いだったので、いずれの形式にもボルトオンで交換出来る簡潔さもありました。
あくまでも推測ですが、こういった経緯で搭載が始まったものと思われます。
では、高崎車にはなぜ無かったのか??
たぶん大宮工場にはPS17のストックがたくさんあったのではないでしょうか。
廃車発生品もあったと思われます。
対して長野工場は電機は2種類だけ。EF62、EF64とも廃車は無かったので部品取りもできなかったことでしょう。
この片側だけPS22Bはファンからは美的に悪いし、原型でないということであまり好まれなかったようです。
そのせいかEF62の54号は田端転属後にPS17に戻されました。
(他機と交換したのか、廃車部品取りなのかわかりませんが、やっぱり大宮はPS17の融通が利く??)
ちなみに私は片側PS22Bは長野工場車らしくて好きだったのですが…。
篠ノ井のPS22B搭載車は廃車まで戻されることはありませんでした。
【出典・参考文献】
●「電気車の科学1976年8月号」電気車研究会




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