最初の説明


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2019年1月8日

EF62 下関へ その経緯について(終)

 昭和59年(1984年)2月1日のダイヤ改正で信越線での運用を終えた高崎のEF62は、早いものは翌2日から順に古巣の高崎第二機関区を後にし、東海道、山陽線沿いの各地に送られたのでした。通常、この手の回送は貨物列車に併結して行われるのが一般的でしたが、急を要するため盛りスジで送られました。何両かのEF62がヨに挟まれ移送される様子は鉄道雑誌などで見ることが出来ます。
行先別(訓練先)にまとめるとこんな感じです。

【行先】  【車番】
下関          4 13 21 26 30
下関/徳山   15
広島          14 24 28
糸崎          36
岡山          37 38
姫路    20 32
宮原          29 34
梅小路       16 25
米原          22
稲沢          33
名古屋       31
浜松          19 23
静岡          17
沼津          18
東京          27

当初は昭和58年7月頃から保留車(高二2両、篠ノ井1両)を用いて各地を巡回させ、半年かけて養成を行う予定だったようですが、59.2で26両全数のEF62が使えることになったため、一気に養成をするようにしたようです。

下関へ転出後の改造など

EF62は勾配線区用であるため、東海道、山陽本線で運用する場合、不要な機器や機能を使わないように簡単な改造や取り外しが行われました。

以下は交友社発行の電気機関車1984年6月号の記事の要約です。
(1)発電ブレーキの不使用
  東海道、山陽本線では発電ブレーキを使用している車両がないうえ、養成期間も短く
  ハンドル訓練も出来ないことから当面の間使用しないこととした。このため
  逆転ハンドルが発電ブレーキ位置に入らないようストッパーを設けた。
(2)2エンド側手ブレーキハンドルの撤去
  EF62は両エンドに手ブレーキが設けられているが、他車種と統一するため、
  2エンド側の手ブレーキハンドルを取り外した。
(3)重連総括機器の撤去
  重連総括運転は行わないため、スカート部のつりあい管ホース、元だめ管ホース等を
  撤去した。

この他、汽笛カバーが取り外されたり、後に電暖ジャンパー栓位置が大きく変更されたりしましたが、これについては別稿にしたいと思います。

おわり


【出典・参考文献】
●「電気機関車1984年6月号」交友社
●「電気機関車EX vol.07」イカロス出版
●「鉄道ファン 1984年7月号」交友社

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