最初の説明


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2018年10月9日

EF62 下関へ その経緯について(その2)

 さて、EF70の改造転用でほぼ固まっていた計画に、EF62転用の話が浮上してきたのは、タイミング良く別の部署から上がった信越線貨物の廃止案だったようです。

引き続き交友社発行の電気機関車1984年6月号の記事を見てみましょう。
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(※原文ママ)

EF62形式・電気暖房付きの浮上

59,2下下案会議時、貨物局から信越線の貨物列車を撤退し、中央東線う回としたいとの案が出された。

しかし、この案の問題点として
1、EF62・63形式は減となるが、EF64形式は増となる
2、上越線はダイヤ構成が密集化し、EF64形式のねん出は見込まれない
3、中央東・中央西線の運用を精査し、EF64形式が増となれば、信越線に貨物存続は止むを得ず、EF62形式のねん出も不可能である
等があり、更に車両運用会議で検討された。
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ここで言う信越線とはヨコカルのことです。この記事からはヨコカル貨物を廃止して中央東線・篠ノ井線経由とした場合、EF64に余裕が無いことが伺えます。また新製増備は論外のようで、2の上越線のEF64-1000番代を持ってこれないかも検討されたようです。たまたまこの時期に篠ノ井機関区を見学した折、案内してくださった職員の方が「もしかすると篠ノ井にもEF64の1000番代が入ってくるようになるかもしれないよ」と話してくださったのは、このような背景があったからだったのですね。当時はそうなんですかくらいにしか思っていませんでした。

ヨコカル貨物を廃止したいのは周知のとおりで、この区間の牽引トン数が500t、運転速度は25km/hと大きな制限を受けていたためであり、1本の貨物列車を分割して運転したり、機関車数、人手等でネックとなっていたためです。もしヨコカル貨物が廃止出来れば、これで余剰になるEF62は電気暖房を持っておりEF58の置き換えの候補になりますが、篠ノ井~直江津間はまだまだ貨物が残りますし、わずかながら客車列車もあるので全数が余剰になるわけではありません。

最初の計画では置き換えには40両程度必要ともなってました。
簡単には行かなそうなEF62の捻出と東海道への転用ですが、どのように乗り切ったのでしょうか?

引き続き交友社発行の電気機関車1984年6月号の記事を見てみましょう。
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(※原文ママ)

EF62形式で可能となる

車両運用会議で検討された結果
1、中央東・中央西線は、種々の施策(補機の一部廃止、ダイヤ改正、塩尻口機関車の
  スルー化)を講じれば、現有両数で可能となった
2、信越線は26両程度の所要両数で運用可能となる。したがって23両のEF62形式が
  ねん出され、保留車3両を復活させれば可能となった
3、東海道・山陽線の荷物列車の運用精査、下下案会議時では28両程度の使用が
  見込まれていたが
 〇北陸経由列車のEF81形式東海道乗り入れ検討
 〇折り返し駅での機関車スルー化検討
 〇名古屋地区小運転のDL化検討
等の施策検討により使用両数が19両程度まで縮減できる見込みがついた
等の理由で荷物列車の電暖化はEF62形式の転用で実施することとなった
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3、の保留車3両の内訳は後の文中に高二2両、篠ノ井1両とありました。篠ノ井は7号のことだと思いますが、高二は何号だったのでしょうか?また必要両数について、その1の段階では40両程度必要とされていたものが、種々の施策で半分の19両にまで圧縮されています。
これにてEF62での置き換え計画が本格的に動き出すのでした。

EF62 下関へ その経緯について(終)」へつづく

【出典・参考文献】

●「電気機関車1984年6月号」交友社

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