EF62 38号は篠ノ井機関区所属で汽笛も長野工場入場車の特徴である移設嵩上げタイプでしたが昭和51年10月1日のダイヤ改正でただ一人高崎第二へ転属になりました。今回はそのあたりの経緯をみたいと思います。
この改正の前年、昭和50年10月28日に碓氷峠で発生した脱線事故で、高崎第二機関区の2両のEF62が廃車となっています。恐らく、この不足分をどうするのかが焦点になったと思うのですが、業務資料「S50-10-1貨物列車のダイヤ改正に伴う機関車運用(案)篠ノ井機関区関係抜粋」(タイトルがS50になっているのは間違い?)の中に下記のような記述がありましたので引用します。
7、機関車運用の改正
(中略)
(2)EF62形式
現行、直江津~長岡、新潟に運用しているEF62の行路の一部をEF81形式新局)に代替し、EF62形式を2両ねん出する。
1)機関車操配
篠ノ井機関区所属EF62形式2両ねん出されるので、1両分は高崎第二機関区の行路を代替し、1両は高崎第二機関区へ転属となる。
(転属車 EF62-38号の予定)
(原文ママ)
事故については触れられていませんが、篠ノ井ガマ2両を捻出とあることから、事故廃車による不足分の捻出と考えられます。捻出した2両のうち、1両は転属で、もう1両は行路代替とあります。2両とも転属にしなかったのは、篠ノ井もいきなり2両減は厳しいという判断があったのでしょうか?
また、転属車が38号になったのは、続き番号の中から1両抜くよりは、端っこの番号で38号になったのか?それとも検査関係か?正確なところは分かりません。
かくしてEF62 38は、改正直後の昭和51年10月3日夕刻、366次無(篠ノ井17:55→高崎23:35)にて住み慣れた篠ノ井機関区をあとにしたのでした。
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