最初の説明


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2023年8月9日

EF62 台車と台検の謎!?(その1)

 ★それは記念撮影から始まった!?

碓氷峠鉄道文化むらは何度訪れても入場ゲートをくぐった時のワクワク感がいいですね。鉄道に興味のある方なら、すぐに展示車両を端から撮影し始めるのではないでしょうか。そしてEF62 1号のところまで来て茶色車体をパシャ、ついでにナンバーと製造銘板、電機の好きな人なら台車銘板もパシャ…

EF62 1

EF62 1
1号のナンバーと製造銘板
DT124台車銘板
台車の銘板(1エンド側) シは昭和でしょうか。

DT124台車銘板
台車の銘板(2エンド側)

ん?あれ?車体は昭和37年製なのに台車は昭和39年製??

製造年が合ってないよね…。え?どうして?どういうことだろう…

さて、1号の車体と台車の製造年が違う理由を考えてみたのですが、

(1)量産統一工事の際に取り換えた。
(2)踏切事故や不具合があって途中で取り換えた。

の2点を思い付いたのですが、(1)は昭和38年のはず。(2)は記録を見つけることは困難で、理由がよくわからないまま、ある日「電気機関車 1974年7月号」(交友社)を読んでいると「現場だより 高崎第二機関区」の記事の中に「EF62形は篠ノ井機関区の委託を含めて、台車検査は台車振替方式を採用している」との記述を見つけました。
振替式!なるほど、それなら車体と台車が違っていてもおかしくないですね。数の多い電車では振替式はよくあるパターンのようですが、数が少ないEF62が振替式なのは意外でした。EF62が高二と篠ノ井に配置されていた頃は、全検は高二車→大宮、篠ノ井車→長野と別れていましたが、台検だけは全車集中的に高二で行っていました。振替式にしたのは少しでも入場期間を短くするためだったのでしょうか。


さて、そうしますと1号が履いている台車は誰の物かということですが、この台車が機関車製造時のものだとすると昭和39年7月川崎製ですので、該当するのは25号(昭和39年7月20日川崎製)、もしくは26号(昭和39年7月25日川崎製)なので、この2両のどちらかの台車では?という推測が出来そうです。(他に予備台車が昭和39年に作られていればその可能性もあります)
では、同じく保存されている54号はどうなっているのか調べてみましょう。





<参考>(電気機関車検修便覧 昭和58年2月10日発行より抜粋)

★台車検査
機関車の使用状況に応じ、所定の周期で、主電動機、走り装置、ブレーキ装置、計器等の特定主要機器を取りはずし、又は特定主要部分を解体のうえ、細部について行う検査(電気機関車検査基準規定 第3条)

★台車検査の周期
EF62(C群) 12カ月以内 120,000km以内(車両検査周期基準規定 第10条)



【出典・参考文献】
●「電気機関車1974年7月号」交友社
●「電気機関車検修便覧 昭和58年2月10日発行」交友社


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